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■受験生の皆さん、本当に行きたい大学はどこですか?
■東大?早稲田? それとも慶應ですか?
■本当に行きたい大学はどこですか
もし今の成績をまったく無視して、「どんな大学に行きたいですか」と聞かれたら、何と答えますか。
「どんなに自分の成績が悪くてもかまわないから、本当に自分の行きたい大学を言ってみなさい」と言われたら、あなたは何と答えますか。
意外と本心は言いにくいのです。
こんなことを言ったら笑われるかもしれないという気持ちがあるからです。
しかし、自分の行きたい大学を言うのに何の遠慮はいりません。
思い切って口に出してみてください。
東大ですか、それとも早稲田、慶應ですか。
いずれにしろ、もし一年で偏差値を15、20上げることができたら、どんな大学にも合格できるではありませんか。
勉強をする時、一年で偏差値15アップを目標にすべきです。
多くの人がそんなことはできないといいますが、実際可能です。
かなり大変なことですが、けして不可能ではありません。
■一年で偏差値を15あげるには
もしあなたが勉強しようと決心したとします。
そんな時、まず、目標を1年で偏差値15上げるようにしてはいかがですか。
もちろんすべての人が1年で偏差値15のばせるわけではありません。
しかし、リトルに来るかなり多くの人たちが1年で10−15のばすのです。
特に浪人生の場合は半数程度の生徒が10−15のばします。
1年に15上げることは簡単なことではありませんが、奇跡ではありません。
やり方によっては可能なのです。
■ではどうすれば15上げることができるのか
1年で偏差値を15上げるにはまず、1日に単語を100おぼえることです。
「1日単語を100おぼえる」というとほとんどの人が「できるわけはない」と言います。
しかし、実際、やってみてできなかった生徒はいません。
やる気があるかどうかが大切であり、もしその気があれば誰でも必ずできるのです。
大切なことは、今のあなたが現状の成績だとすれば、これは卒業までこのままであり、その結果は必ず不合格になるということです。
とすれば、今までのやり方を変えなければならないのです。
単語を100おぼえるといったまったく新しい方法でないと急に偏差値は上がりませんし、合格すると言うことはありません。
■さて、そこで、こんなことを考えてみてください。
人間はどんな人も、順応性があり練習によってその能力を高めることができるのです。
もしあなたが毎日単語を100おぼえるとします。
毎日繰り返していれば、だんだんおぼえることがうまくなり、1日100おぼえることは難なくできるようになります。
要するに、練習すれば何事もうまくなるのです。
人間のあらゆる機能が練習によりうまくなるとすれば、どうして記憶能力が向上しないといえるのですか。
1年生で野球部に入った新入生が、始めはあんなに下手だったのにいつの間にか、ものすごくうまくなっているのに驚かされることがあるでしょう。
■頭も練習することでよくなる
練習することで上達しない機能などありえないのです。
人間の頭脳もまったくこれと同じで、頭は練習によって必ず良くなります。
ただ練習が大切ですから、1日単語を20個おぼえても頭は良くなりません。
大切なのはやや難しいという程度に練習することです。
例えば、走り高跳びの練習をするのに、すぐに跳べる1mの高さをいくら跳んでも少しもうまくなりません。
しかし、なかなか跳べない1.3mを1日100回も跳んで練習すれば、1, 2ヵ月後には跳べるようになるのです。
これが練習の成果です。
単語も1日20、30おぼえても決してうまくはなりません。
しかし100おぼえるとなると能力が格段に開発されるのです。
それが1日100なのです。即ち、ただ単語をおぼえるという行為だけでなく、これによってあなたの暗記能力が開発されるのです。
もしあなたが1日に100の単語をおぼえられる能力を持ったとします。
そうすればこの能力は他の学科にも利用できますから、日本史をおぼえるにしろ、世界史をやるにしても、あるいは生物、化学にしても暗記を基本にする学科なら、一冊の参考書をほんのわずかな期間でおぼえられます。
だからこそ、それは偏差値を一気に上げるための原動力になるのです。
さらに数学も解き方のパターンをおぼえるという点ではやはり暗記学科なのですから、「暗記する能力」を高めることはあらゆる学科に役立つということになります。
実は、これが単語を一日100個おぼえる本当の理由です。
私の塾では本当は、3年生は200づつおぼえています。
1年生は始めは50程度ですがすぐに100おぼえられるようになります。
大切なのは何故それが必要なのか、ホントにできるのかを生徒に説得することです。
■最高の教材を提供する
生徒に「1日100単語をおぼえなさい」というのなら、我々の使命は日本一おぼえやすい単語帳を提供することです。
仕事をするのにもっとも大切なのは道具といわれます。
匠の仕事があのように繊細で美しいと言われるのも、やはり道具が違うからだといえます。
勉強で一番大切な道具といえば、「教材」ではありませんか。
我々は「教材こそ命」と考えています。
日本で一番おぼえやすい教材を提供するからこそ、生徒に一日100おぼえることを要求できるのです。
■さて最高の教材を持てたら
最高の教材を手に入れたら、次にしなければならないことはおぼえるためのテストを繰り返すことです。
テストはすべてコンピューターに入っています。
このコンピューターを利用してテストを繰り返すのです。
多くの人が、「教えることは手を取り足をとり丁寧に教えることだ」と勘違いしています。
もちろん「教えること」も大切ですが、それ以上に大切なのはおぼえることです。
私たちは生徒に「勉強は自分でするものだ」ということを徹底させています。
いくらうまく教えても最後に点になるのはそれをおぼえているかどうかです。
ようするに自分でおぼえることなのです。
そしてそれをチェックするのが私たち先生の仕事なのです。
そのためにはチェックの体制がうまくできていなくてはなりません。
ところが、何度も何度も同じ範囲のテストをつくるのは大変な作業です。
つい面倒だから、「この単語を100回ずつ書きなさい」などと言ってしますのです。
これでは徹底的に、子供たちが知識を定着さたかどうかをチェックすることできません。というより、何度も追試を受けて頑張ろうとしている生徒に失礼です。
生徒は「自分は真剣にやったのだから、その成果を見て欲しい」と思っているのです。
私たちも彼らの努力を認めることから生徒との「ふれあい」が始まるのだと思っています。
また今までの私の経験からもしても、先生が生徒の努力を認め本気で彼らをほめた時から、生徒との心からの接触が始まったということが多かったような気がします。
■何度もテストをし、採点は必ず先生がするということが大切です。
前にも書きましたが、多くの人が勘違いしていることがあります。
それは――勉強とは教えることだと思っていることです。
もちろん教えることもある程度大切ですが、それ以上に大切なことがあるということです。
勉強とは本来、必要な知識を確実におぼえこむことですから、その点からすれば、生徒が本当におぼえているかどうかをテストすることのほうがもっと大切なことになるのです。
もちろんおぼえるときどんなおぼえかたをすれば一番効率がいいのかといったことを生徒に伝える必要があります。おぼえる時に合理的でなくてはならないということがどうも教育の場では軽視されすぎている気がします。ありあまるほどに時間を使って成果はあまり表れないといった現象はごく普通に起こっています。
宿題を見てください。これほど非効率なものが他にありますか。普通宿題は解答がついていません。
自分で調べて解答を探す必要があります。
これこそ時間の無駄ではありませんか。
勉強するのに一番必要なのは答えがすぐ横についているということです。
わからないときすぐ解答が見られるということが望ましいのです。
一部の参考書ではわざわざ次ページに解答を載せているものがありますが、これなども本気で参考書を使ったことのない人のやり方です。
本当に勉強した人なら――効率よく勉強をしたいと考えた人なら、解答が問題のすぐ右ページあり、しかも、問題と一直線上にあることが望ましいとわかるはずです。
しかし、一般には次ページにあったり、わざわざページの下にあったりして、解答を探すのに無駄な時間がかかったりするのです。
実際に問題を解いていく時、すぐ解答できる問題も多くあり、解答するのに時間がかかる問題もあります。
すぐ解けた問題の時に解答を探すのに時間がかかるのは耐えられないことです。
解答がすぐ横にあったら、見るのではないかと心配して本を作る人たちがいるようですが、本気で勉強している人にこんな心配は無用です。
それより、本気で勉強している人は解答がすぐ横にあり、それを探すのに手間がかからないということがもっとも大切なことです。
■塾の場合大きいということがいいわけではありません
人を育てるということは、何も大きい企業ばかりがいいというわけではありません。
小さくてもきらりと光るような教材を持つとか、少ない人数でおぼえるまで徹底的にテストを繰り返すとか、小さい方が限りなくいいことが多いのです。
おそらくまったく経済性を考えなければ少ない人数のほうがはるかにいいわけです。
しかし一般的にはこれには、教えるレベルが低くなるという欠点がつきまとうのです。
一対一の家庭教師は教えるのに一番いいと思われていますが、実は教える先生のレベルがそれほど高いはずがないという問題があります。
もしその先生がハイレベルであれば、普通はその先生自身が沢山の生徒を集めて自ら教え、あるいは塾を開くことになるからです。ただ高校入試レベルまでですとこのことはそれ程問題になりませんが、大学入試となればかなり差が出てきます。
そこで少ない人数を教えながら、その教える水準が、全国的にみてもハイレベルになるということがもっとも望ましいということになります。
したがって、私たちはーー提供する教材が全国的ハイレベルに達していなければならないと思っています。
だからこそ「教材は命」という目標を掲げているのです。
さらにコンピューターによるテストシステムは生徒にテストを繰り返し、それによって生徒の知識を定着させるという目標を完全に達成できています。
上で「一対一が一番だ」と書きましたが、実はやや問題もあります。
本当は一対一ではなく7、8人が一番いいと思います。
この点についてはもう少し議論がありますが、後に譲りたいと思います。
■いい教材を作るには
リトルアメリカは地方の小さな塾です。しかし小さいからこそ、そのよさがあります。
私たちのよさは常に生徒と接触していることです。
生徒と接触するからこそ本当の生徒の気持ち、悩みがわかるのです。
単語帳を作るにも多くの生徒の協力のたまものでした。
リトルアメリカの単語帳はもともと生徒の発案で作られたものです。
単語で苦労している生徒がおぼえやすいようごろ合わせなどをしたものを私たちがまとめたものです。
従って、この単語帳には生徒の考えがいたるところにあらわれていますから、本当におぼえやすいと言えるのだと思います。
また、hight などといった単語も収録されています。
実はこの単語は存在しません。
本来 height となるべきなのです。
しかし、いかにもありそうな単語ではありませんか。
生徒が良く勘違いする単語なのです。
このような単語を収録するというのもけして他にはない考えだと思います。
大手の塾や、予備校や大学の先生ではけしてこのような発想はありえないのではないかと思います。
■入試は偏差値ではない!
最後に、入試は偏差値ではありません。
すこし、偏差値が足りないぐらいは、その人間の持ち味でどうにでもなるのです。
もちろん、偏差値50の人が70の東大に合格することは、まず難しいでしょう。
しかし、60前後にある人が70に合格することばありえます。
私のところでは、随分足りない偏差値をくつがえして東大に受かったり、早稲田に受かったりする人がいます。
みんながあれはラッキーだとか、奇跡がおきたのだなどといいます。
しかし、そうではありません。それだったら、あまりに奇跡の数が多すぎます。
大切なのは、その人の生きざまです。
その人が、この試験に人生をかけているかどうかにあると思います。
この試験に受かることが、自分の人生を切り開くことになるのだ、自分のやりたい仕事を一生続けるために、この大学に合格することが大切なのだ、と信じることができれば、その人はかならず合格します。
ここでもう1度、なぜ勉強をするのか、ということに立ちかえってみましょう。
それこそ青春のさ中にあるあなたの最大の命題です。
人生は競争だと考えて下さい。
ダーウィンがいうように、自然界とは自然淘汰の世界です。動物も人間も、毎日が生き残るための戦いです。
動物の場合、負けることが死を意味します。
人間の世界は動物に比べて、ずいぶん安全です。いき過ぎた競争が是正されています。しかし基本的に、人間が生きている限り競争の世の中であることに違いありません。
私たちはこの競争の中で、青春を謳歌し、また青春に悩み、傷つきながら、それでもやはり成長していくのです。
私の塾から巣立ち、大学へ合格して行った人たちは、みなこの競争、受験の中で成長し、その中で生きる哲学を身につけていきました。
ある学生は「神も仏もあるよ」といいました。受験勉強の最後に、必死で努力してきたあかつきに、神があり仏があり、自分の努力が報われるはずだと思えたのです。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、最後にこの心境に到達したに違いありません。
彼は学生時代はサッカーに青春をかけ、1年間の浪人生活を私の塾で過ごしました。
1度も勉強したことのない彼が、勉強というものに接し、このような人生観を持てたのです。
また、ある女子学生ですが、わずか偏差値が45−46だったのが、最後に72までになり、立教大学に合格しました。
高校3年の時、進研模試でいつも英語の点が25点ぐらいだった彼女が1年の浪人生活で偏差値72にまでなったのです。
彼女の言葉は、「中途半端な勉強なら、やらない方がましよ」でした。この言葉には、ほとんど0点に近い点から、70を超えるようになった人間のスゴ味があります。
学校で、先生から「短大にも受かりませんよ」といわれていたのですから、いかに彼女が勉強に徹したかがわかります。
そして彼女はもう一言、素晴らしい言葉を残しました。それは「私のようなものでも、やればできるのだ」という言葉です。
この言葉は真実です。
だれでも、やれば必ずできます。不可能はありません。
この人たちが学んだことは、自分の努力というものは必ず報われるということです。
そしてこの先、人生で苦しい時があったにしても、あの受験の苦しみを考えれば、耐えられると思うに違いありません。
また、自分の成績が飛躍的に伸びたことを1度でも体得していれば、他のだれに対しても劣等感を感じることなく、いつでも、やればできるのだと自信を持つことができます。
この自信こそ、あなたの人生で何よりも大切なものです。
今、ここで単語をおぼえ始めていることで、輝く人生に乗り出していると思って下さい。人生は、努力していさえすれば、必ず幸運があり、大きな幸せがあるはずです。
わたしたちはそんな生徒に声援を送り、ともに苦労を分かち合いたいと思っています。
わたしの塾では毎週土曜日は食事の時間になっています。
みんなが集まって一緒に食事をします。
そんな中で楽しく話し合い、情報を交換しあったりして、新しい活力が生まれくるのだと思います。
「ともに同じ釜の飯を食う」――これこそ本当の戦友ではありませなんか。
わたしたちは生徒を教える先生という立場よりも、ともに戦う戦友でありたいと思っています。
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| Last Updated 05/10/2008 |
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